2020年度 東京大学学位記授与式 総長告辞 by 五神 真
私は一年前、感染急拡大で急遽オンライン中継となった学位記授与式で「バーチャルに拡張された安田講堂において、祝いたい」と述べました。学部学生有志によるバーチャルな卒業式も工夫され、それをきっかけに「バーチャル東大」というVR空間が生まれました。昨年9月の「高校生のためのオープンキャンパス」では、これを活用させてもらい、私自身もアバターとして登場しました。延べ1万4千名もの高校生が全国から訪問し、大盛況でした。参加した高校生たちからは「実際にその場にいるような気がした」とか「皆と一緒に参加している感じで楽しかった」といった声が寄せられています。
デジタル革新は、印鑑をそのまま電子印に替えるような、既存の仕組みをそのままデジタル化することではありません。そもそもなぜ印鑑が必要だったかという原点にまで立ち返り、最新のサイバー技術を存分に活かし、新たな社会制度の構想と統合とに取り組むべきなのです。
先ほどコロナ禍で、私自身がサイバー空間における身体性の大切さに気づいたことに触れましたが、emojiはある意味で身体的表現の復権でもあると思うのです。歴史的にみると、手紙などの手書き文字が廃れ、標準化された活字や印字が中心となり、文字の書きぶりに気持ちを込める機会が失われていきます。他方において、サイバー空間では生の感情がぶつかり合う炎上や、姿も顔も見せないままでのヘイトスピーチや排除の暴力が目立っています。そのようななかでemojiはいわば感情を表現する「表感文字」であり、現代の情報技術を使いこなして、情動と身体性を備えた新しい文字を生みだす工夫なのです。それは、言語本来の触れあいの共感を復活させるものとなるのかもしれません。
プリンストン高等研究所の初代所長のエイブラハム・フレクスナーは「科学の歴史を通して、後に人類にとって有益だと判明する真に重大な発見のほとんどは、有用性を追う人々ではなく、単に自らの好奇心を満たそうとした人々によってなされた」と述べ、教育機関は好奇心の育成に努めるべきだと主張しています。皆さんも本学での生活のなかで、何かに熱狂的に取り組んでいる友人や海外の研究者に驚き、いつの間にか興味を持つようになった経験があるかもしれません。好奇心を育むことは多様なゼロを豊かにすることなのです。
私自身総長を務めるなかで、ときに恥ずかしい思いをし、ヒヤッとしながら多くのことを学んできました。多様性を真に尊重するということは、言葉で言うほどたやすいことではなく、自らしっかり意識し常に努力して行動しなくては、育たないものだと痛感しました。しかし、自分と離れた立場からも見ることができ、多様な人びとと対話することができる場を持つことは、かけがえのない財産となるものだと確信しています。
この告辞は私が総長として伝える最後のメッセージとなります。最後に少し、舞台裏の話をしましょう。私のこれまでの式辞や告辞は、じつは本学の多様な学問分野の、数多くの教員との対話と熟議を通して練り上げられたものなのです。私は総長として東京大学が長年蓄積してきた豊かな学問に直接触れる機会に恵まれました。それらはどれも、とても新鮮な出会いでした。その知の魅力とそれが持つ力を、入学や卒業の機会に皆さんに伝えたいと思い至ったのです。さまざまに専門を極めてきた知のプロフェッショナル同士の議論によって、発想のシナジーを生み出す時間は、いつも心から楽しく、私が掲げてきた協創の神髄を自ら体感するものでした。物理学の本ばかりが並んでいた私の書斎の本棚も、言語学、歴史、経済学、社会学、生命科学、情報学など多様で豊かな姿になりました。お付き合い頂いた、延べ100人以上の先生方には、この場を借りて感謝と御礼を申し上げます。東京大学総長の6年間は、私のこれまでの人生のなかで最も贅沢な時間だったと噛みしめています。